混沌魔術, 魔術

新興宗教とスピリチュアル

Fra sol phoenix

バブル経済の絶頂期を迎えた1980年代後半から1990年代初頭、人々はかつてないほどの物質的な豊かさを享受したものの、一方で精神的な満足は得ることはできなかった―バブル経済をこのように評する論者は多い。敗戦の焼野原から祖国復興を目指して働いてきた大正世代や戦中世代、そして昭和20年代生まれの「団塊の世代」たちは、かつての欧州列強国を抜き破り日本を世界第2位の経済大国へと成長させた。しかし、物質的に豊かになったバブル期には、今まで置き去りになってきた心の問題が一気に表面化する。この人々の心の隙間を狙ったかのように様々な新興宗教が発生した。バラエティー番組には新興宗教の教祖が出演し毒ガステロの首謀者も自称ブッダの生まれ変わりもまるで芸能人のようにブラウン管に躍り出るのだった―解脱したブッダはもはや転生するはずがないのだが、「無宗教」の日本人はそのようなツッコミさえ思いつかない。

さて、時間軸を現在に戻そう。2010年代の日本は高度成長期以前に比肩する格差社会となり、皆が物質的な豊かさを享受できる状況ではなくなった―もっともバブル期においてもバブリーなセレブなんてほんの一握りしかいなかったのだが。もしわが国のバブル経済の虚栄を報道通りに信じる者がいたら一度最貧国に行ってみたらよい。最貧国には外国人にバグシーシを求める貧民があふれかえる一方で、日本では考えられないような超巨大豪邸に武装警備員・メイド付で住み、ロールスロイスやベンツを運転手付で乗りまわす超セレブが必ずいることが分かるはずだ!なぜ世界最貧国の一つに数えられるバングラディッシュは人口当たりの億万長者の数が世界トップクラスになるのか?これらについて一度考えてみることはよい勉強になるだろう。程度の差こそあれ、国や時代を超えてどこにも似た様な構造があると分かるはずだ。

話を宗教にフォーカスしよう。新興宗教は、争・病・貧によって発展するとある宗教学者は言う。争い・病気・貧しさこそ人々の心の隙間の源泉であり、これらを解決するために人々は宗教に救いを求めるから、そこに新興宗教がつけ込むのであろう。某日蓮宗系新興宗教も貧しさが残る高度経済成長期に大発展を遂げた。酒鬼薔薇聖斗でさえ『絶歌』で引用する物質的豊かさと精神的貧困と言う観念的ではあるが分かり易過ぎる対比、これにより80年代の新興宗教が生まれたとする論者は珍しくないが、それは明らかな間違いだ!争・病・貧の解決を求め、人々は未知なるもの―超越的存在、異能者―に救いを求める。80年代の新興宗教の隆盛も同様で、バブルの虚栄の中豊かさを実感できない一般人が新たにやってきた未知なる自称超人たちにすがっただけにすぎない。その未知なる自称超人たちは今、ヒーラー、霊能者、スピリチュアルカウンセラーと名を変えて、格差社会に広がる争・病・貧に付け込み儲けの機会を虎視眈々と狙っている。

結論から言おう、スピリチュアルとは新興宗教の言いかえに過ぎない。23年前の宗教テロによってマスメディアから新興宗教が消えたといわれる。しかし実際にマスコミから新興宗教は消えていない。バラエティー番組では占い師、スピリチュアルカウンセラー、スピリチュアル女子大生といったものが新興宗教と置き換わるかのように出現していった。パクリ占い師がコールドリーディングで芸能人と対話し、霊能力なんて開発しない国学院大学出身の霊視ができるスピリチュアルカウンセラーが霊視をし、女子大生芸能人が適当なスピリチュアル用語のカタカナを言う。このような状況はバブル期のテレビと全く同じではないか―宗教を標榜するかしないかの差があるだけで!

スピリチュアル系の人々の主張は紛れもなく宗教だ。ここで憲法上の宗教の定義を見てみよう。宗教の定義とは、超自然的超人間的存在を畏敬崇拝する行為であると最高裁は判示した。カルマの解消、高次元の存在、ハイヤーセルフ、アセンション、医学上何の根拠もないヒーリング!これは見事に全部宗教の定義に当てはまってしまう。23年前のテロで一般人を警戒させた新興宗教、この新興宗教と言う言葉をなじみのないカタカナ語で言い換えただけの存在、それがスピリチュアルだ。そしてスピリチュアル系の人々は集団の形態をとることもあるが、宗教法人である事は珍しいし、むしろ集団の形態をとらないことが多い。いわば個人経営の新興宗教、零細企業のカルトと言うべき存在である。

読者諸氏は、そんな馬鹿な、と思うかもしれない。しかし、新興宗教とスピリチュアルとの間は驚くべきほどの共通点が見いだされる。

例えば代表的なものに教祖の神格化があげられるだろう。某カルト教団について教祖が処刑されたことで神格化されるなどと言った的を得ない議論が報道されているが、最初から教祖が神格化されていない新興宗教なんてものは存在しない。神格化されているからこそ信者や世界を救う能力があるとされるのだ。一方でスピリチュアルを見てみよう。連中は口をそろえて言う―神仏や宇宙から使命を受けて特殊な能力を授かったのだ、と。このことから見ても新興宗教の教祖とスピリチュアルとでその権威づけに大差はない。

また両者はうわべだけは立派なことを言うのも共通している。霊的成長を促し、人々を救い、ひいては地球を救う、本当にできるのならとても立派なことだ。しかし、信者やクライアントを人聞きの良い思想で洗脳し、一方で言うことを聞かなければ不幸になる、カルマが穢れると脅迫することで大金を巻き上げる。もちろんスピリチュアルにお金をつぎ込んだからと言って効果なんてあるはずがない。スピリチュアル自身がそれを分かっているからこそ、自己責任と言う体裁のいい予防線が周到にはられている。その結果、信じたクライアントが死ぬこともあろう。そうなれば、悪いカルマが解消されて天国に行ったなどと寝言を恥ずかしげもなく言う!両者の共通点の二つ目は、困っている人を助けるふりをしてあるだけの財産を巻き上げようとする最悪のビジネスモデルということである。

共通点を単純化して要約すれば、人を助ける意思も能力もないペテン師が、判断能力の低下した悩める存在を食い物にするということに集約されよう。

よく考えてみてほしい。本当に神仏に選ばれ遠隔地から念を送るだけで被災地を復興できるような能力をもった者がいるのだろうか、と。敗戦の瓦礫の山から世界に奇跡と評された経済成長を成し遂げたのは、朝鮮特需やベトナム特需のような外的要因もあるが、ひとえに我々の祖先の努力のたまものである。新興宗教の教祖が念を送ったからなどでは断じてない。東日本大震災にせよ熊本の震災にせよ、現場で活動する人々があってこそ復興が成し遂げられるのだ。東日本大震災復興のために遠隔ヒーリングをしたなどとほざくスピリチュアルは珍しくないが、実際にその効果を証明できないのだからもはや言った者勝ちの世界である。現場で活動した人々に対する侮辱以外の何者でもない。このような人の手柄の横取りは新興宗教でもスピリチュアルでもよく聞く話であろう。結局のところ、新興宗教もスピリチュアルも権威づけがうまいだけで、我々と変わらない普通の人間がビジネスでしているということに気づくべきだ。

もし読者諸氏がスピリチュアルを信じていて私の言うことに疑問を持つなら、ぜひ一度試してみてほしいことがある。それはスピリチュアルの人に少し専門的なことを聞いてみることだ。政治、経済、法律、医学、宗教、その他なんでもいい、読者諸氏が少し詳しく知っていることについて質問してみてほしいのだ。ゲームや若者論でもいい。おそらく、新聞の社説のコピペのような意見、ウィキペディアのパクリ、中学レベルの勉強もわかっていないのではないかと言うレベルのいい加減な知識、このようなデタラメな返答が返ってくることで、スピリチュアルの人の無知ぶりが暴露されるだろうから。整体等の疑似医療系には全く珍しくないが、ヒーラーにいたっては人を癒すというのに医学の医の字すら知らない。一般人と変わらず知ったかぶりが大好きな業界だ。結局連中も普通の人であることがよくわかるだろう。こういったことに気づけば、おかしな連中を盲信するなんてことは生じない。きっと救い主なんてものは存在しないことに気づけるはずだ。

なんと味気ない結論になったのだろう!だがこれこそが真実だ。だからこそ自分は自分で救わなくてはならない。自分の事は自分でやるほかない。これは同じ自己責任でもペテン師に強要されたものとは違う本来の意味での自己責任だ。魔術とは自称救世主のような他人にしてもらうものではなく、自分でするものであり、自分にしかできないものなのだ。たとえアレイスター・クロウリーやオースティン・スペアといった伝説の存在であってもあなたの代わりに魔術をすることはできない。あなたは人として生まれてきた以上、他人ではないあなたとして生まれてきた以上、あなたにしかできない義務を果たす責任がある。あなたの救世主はあなた自身であってあなた以外の誰でもないと認識すること、これこそが自己責任であり、万人の宗教である魔術の出発点なのだ。