wolcrof 13
混沌魔術の醍醐味というのは自分で『何を信じるか?』を決定できる選択性の自由であり、信じた原理を『追い求める情熱』を持ち続けれるか?によって変化を起こせるというところにあるといえる。1980年代の混沌魔術の理論-バタフライ現象-というものがある。蝶の羽ばたきが強風や竜巻に影響するといったものだがこれは残念なことに、証明されなかった。地軸をずらす為にジャンプするという運動が行われてが、地軸は変動しなかった。おそらく地軸に何1つ影響すらしなかったのではないだろうか?何かが変化する時、他の何かも変化する。この変化は反応としての変化なのか?現象としての変化なのか?私達が変化する時にそれを適切に冷静に判断することが難しいといえよう。私達自身の変化は選択することが本当に出来るのだろうか?嫌だからといって偏食を続ければやがて変化として何かしらの健康を害することになる。自由意志というものは時として取り返しのつかない変化と結果を生み出すことになる。その時の選択が大きな間違いを生み出すということをその時点では解らない。これを回避することが出来るかどうかすらその時点では解らない。もしこれらが事前に把握されるなら平和な世界が私達の目の前に常にあるといえよう。しかし残念なことにそうではない。何かを放棄することが何かを得るという時人は必ず損得という視野から物事をはかり得があれば継続し、損があれば放棄する。私達の精神宇宙もこのような損得を持って運行しているように見受けられる。精神的損と精神性得というものが存在し精神的損は精神的得を補えるように連続して選択されるように見受けられる。逆も同じことが言える精神的得は精神性損を補充する為に連続して選択されているように観察できる。結果として精神的に得をしたか損をしたかはその観測地点から離れてみない限り解らない。どのような方法論をとっても私達は精神的損か?精神性得か?という天秤に乗せて物を考え選択している。混沌魔術はこの精神性損得すら自分で選択できるということを教示している。私達にとって真の意味での精神性損得とは何か?は自我を超えた視野から見ない限り解らない。しかし少なからず断言できることは精神性得とは個人の安心を選択できるそれも長い時間かけて効果を及ぼすエンパワーの混沌魔術を得れる。私達の意志が精神性得を全員が等しく得るために、私達は新しい視野を手にする必要がありそれが期待されるベータ理論だろう。私が海外の混沌魔術師に聞く最も多い質問は貴方は何年混沌魔術を研究したか?であって多くの海外の混沌魔術師達人は10年以上の年数を述べる。肉体の成長のように精神の成長とは一見して出来るわけではなくさらにそれは自分だけでは出来ないといえよう。大いなる精神の成長の結果は長い年数を振り返ることにより始めて理解できる、混沌魔術とは生涯学習だと私自身はとらえている。多くの先達先人は皆生涯学習だったといえる。