混沌魔術, 魔術

悪魔の不在

まず、冷静に考えてGOETIAや魔術で個人願望を満たそうとする方に伺いたいのですが、それは道徳的や法律的な視点で見て問題のない願望なのですか?

本当に、道徳的法律的に問題がない願い事でしたら、お寺や神社で祈祷してもらった方が良いのではないでしょうか?
後ろめたい願望、愛する彼氏には奥さんがいる。奥さんと別れて私を愛して欲しい。努力せず仕事や学問のライバルを蹴落としたい。また宝くじで億万長者などの空想めいた願望も、その範疇ではないでしょうか。呪いの藁人形とか丑の刻参りの類など、その最もたるところだと思います。呪いに手を染めることは、魔術という一般的にみて怪しさに溢れる分野の中で一般の方から見て特別忌避される部分です。

寺社仏閣で祈祷されている方々は確実に激しく辛い修行をなされた方々だと思いますし、都会民な私たちより厳しい環境に自らをおいて鍛えてきた方々の方が、魔術的な力=験力は高いという考えに行き着くのは魔術を真剣に学ぶ者なら行き着いて当然の流れです。
祈りを捧げる対象も、例えばGOETIA 一番 東の王 バアル よりも多くの方に平和的に信奉されている諸仏菩薩の方が精神衛生的に見て健全だと思います。それでも尚、黒魔術的悪魔崇拝をされている方は、それはそれですし、悪意なく主観で言えば神の代替としての悪魔崇拝は、きちんとご自身で崇拝する対象を選ばれたのだと思いますから、こちらについても特に言う事はありません。

冷静に考えてみてください。自分勝手な後ろめたい願望を、悪魔という何かに都合よく理不尽に押し付ける事はそれこそ悪魔的な行為ですし、やっていること考えれば悪魔と同じです。
そして自分自身に勝手な願望をおしつけても何も変わりませんし、そのような願望は魔術では叶わないのではないかとも考えます。それは悪魔に反社会的ないし法律に反する事を押し付けるのは、魔術ではなく屁理屈をこねて願望を正当化しようとしている行為です。(この辺を捉えてD・フォーチュンがオカルトポリスを述べたのなら面白いと思いますし、魔術とは欲望によって意識を欺く化学である<黒の書より抜粋> を考えても、欺瞞にしかならないです。)

天は自らを助くものを助くといいます。後ろめたい願望が天を助くとは私は思いません。そして、この諺をアレイスター・クロウリー風に言い換えるなら次のようになると思います。

「胸を張って言える願望には、その正当性によって多かれ少なかれ大宇宙の助力が働きます。そしてその助力を人は奇跡と言ったり、自らが信じる神と呼ぶのではないでしょうか。」

そして、大宇宙の助力をえた願望は、祈るべき対象が何であれ-願望と祈祷対象が持つ概念や意味合いが矛盾しない限り-願いは叶うし、魔術は成功すると思います。この考えに至った時、はじめて神という概念を作り出したのは呼び方は違えどやはり魔術師という人種だと確信しましたし、自分たちの源流を見た気がして非常に高揚しました。
人は本来何を信じるのか?自由なはずで、不自由なのは自分自身で縛して居るからに過ぎず、ここまでくると悪魔も神もなく、ただ純粋な信仰になります。言い換えると悪魔を悪魔として、神を神として信じているのは私たちです。(神や悪魔が悪いという事ではなく盲目的な決めつけと押し付けと自己正当化はやめましょうという事です。)

魔術とは、万人のための宗教である

あなたも自分が何を信じるかという事と自分が行う魔術について今一度考えてみませんか?自分が本当は何を求めているのか?欲望に対する解を、魔術により生まれてきた答えを見つけてみませんか?
混沌の騎士団にはそのお手伝いができる優秀なメンバーが多数いますし、経験者の体験談や生の声も聞こえてくると思います。

混沌の騎士団は、あなたの熱意ある参加をお待ちしています。

お読み頂きまして、ありがとうございます。